「魔神英雄伝ワタル創世伝記

(めいきんぐふぁんぶっく)」

新紀元社刊 2012年7月14日初版発行 定価2,000円(税別)

1988年4月より1年間放送された1st「魔神英雄伝ワタル」がTVシリーズとして成立する経緯が、オリジナルスタッフの座談会や対談で構成されている。

今まで語られなかった制作秘話や舞台裏話などで作品を深く掘り下げている。

分野を問わず新企画を考える上でのヒントやアイデアが沢山詰め込まれており、ファンのみならずクリエイターを志す人にとっても魅力ある内容になっている。

 

新紀元社のご好意により掲記ムック本より抜粋して掲載させて頂きました。

変換ミスなど多少の加筆修正がありますが、基本的には原文のまま掲載。

 

 

 

――まずビクターさんが『魔神英雄伝ワタル』の音楽を担当することになった経緯をお聞かせ下さい。

金子:1988年の1月半ばにサンライズの吉井(孝幸)さんから企画の話を聞いたのが最初です。場所はたしか新宿の滝沢別館で、『ワタル』の設定資料や芦田さんのキャラクター資料等を見せていただきました。作品について色々説明を受けた最後に、「この作品は小学校5年生くらいをターゲットにしたいので、CDはあんまり売れないと思います」って率直に言われたんです。

一同:(笑)

金子:私自身とサンライズさんとの関わりは劇場版『クラッシャージョウ』からで、それまでは比較的対象年齢の高い作品が多かったんですよ。当時はまだそんなにアニメーションの知識はなくて、企画書にある監督の井内(秀治)さんも企画の広井(王子)さんも存じてませんでした。ただ『超力ロボガラット』を担当していたので芦田(豊雄)さんのキャラクターは知っていて、芦田さんの描くキャラクターやイラストには個人的な思い入れがあったんです。と、言いますか自分の感性に合っていると思っていたので、芦田さんがキャラクターを担当するなら問題ないと思ったんです。「CDは売れないかもしれない」なんて言われましたが、主題歌を含む音楽はしっかりと作りました。これはビクターがアニメーションの音楽に予算を取れる状況が生まれつつあった時期だったからです。吉井さんが売れないと仰ったのは対象年齢が低いからで、それは平均的に言うと事実なんです。視聴者が小学生であればまずおもちゃに行くのが普通ですから。ですが結果的にワタルはシリーズとなり、ラジオドラマもあって『超ワタル』まで行きました。それを引っ張っていけたのは色々な年齢層のファンの方たちがCDを買ってくれて、音楽について興味を持ってくれたからだと思います。そのきっかけになったのがa・chi-a・chiの「Step」なんですよ。

 

―― やがてa・chi-a・chiさんをここ(老神温泉・白壁の宿 牧水苑)で見出された訳ですね?

金子:そうです。最初は1987年の12月にマジックバスの出崎哲さんと一緒に来ました。その時に女将さんから「双子の姪がのど自慢荒らしをしているので、ふたりの歌を一度聴いてみて」と言われたんです。そして2度目に来た時、宴会場でふたりにカラオケを歌ってもらいました。

久:私達が子供の頃は、ちびっこ歌マネのような番組をテレビで頻繁にやってたんですよ。

永:それにザ・ピーナッツの歌マネなどで何回も出ていました。

中略

 

――おふたりを発見されてから曲を作られたんですか?

金子:いえ、「Step」はすでに存在していました。作詞作曲の立花瞳さんがFM福岡でパーソナリティをやっていた方で、シンガーソングライターとしてデビューするために東京で活動を始めたんです。そして何十曲か入っていた彼女のデモテープの中に「Step」がありました。それを聴いた時に「あ、この楽曲はふたりに合うし、『ワタル』の世界観にも合う」と思いましたね。87年の暮れに出崎さんに初めて牧水苑に連れてきていただき、吉井さんから『ワタル』のお話をいただき、その後にここでa・chi-a・chiの「恋のバカンス」ほか何曲かを聞き、そこに立花さんの「Step」のデモテープがあったと。このような要素が上手く重なって良い方向に奇跡が起き、何かに導かれてa・chi-a・chiの「Step」は誕生したんです。

 

――a・chi-a・chiのおふたりは当時は高校生だったそうですね?

久:1回デモを録らせてくれと言われただけで、自分達は軽い気持ちで行ったんですよ。ところが、その後の展開が急すぎて……。

中略

 

――おふたりはレコーディング当時のことを覚えてらっしゃいますか?

ふたり: もう訳が分からなかったです(笑)。

久:知らないことがたくさんでした。決まってからは週末を利用してレッスンに通ったんですが、東京に行くことさえあまりなかったので不安もありましたね。

永:当時は親元から離れて、遠くの高校に通学していたんです。下宿から毎日学校に通って週末はレッスンでした。レッスンも基礎から始めたのでキツかったですね。

久:ただ歌えばいいわけではないことを初めて知りました。マイクもカラオケ用とは違うスタンドマイクなので、レコーディングでは声が思うように出せずに大変だったんですよ。周りには大勢の人がいて緊張するし。

中略

 

――双子だとやはり歌はピッタリ合うものなんですか?

永:合いますね。

久:タイミングはいつも合ってましたね。声質も調べてもらったら似ていたそうです。あとふたりでレコーディングする場合、普通は別チャンネルで録った声をまとめるそうなんですよ。

中略

 

――エンディング曲「a・chi-a・chiアドベンチャー」はどのような経緯で生まれたのでしょうか。

金子:『ワタル』のエンディング曲として新規に作ってもらいました。「STEP」は渡辺美里さんの「My Revolution」のようなイメージで対象年齢も割と高めなんです。ですので一方のエンディングは対象年齢を低めにし、幅広い層に向けてメッセージを発信したいと考えました。「a・chi-a・chiアドベンチャー」は曲もそうですが、絵も楽しかったですね。

 

――オンエアでご自身の歌に絵が付いた映像を観た感想はいかがでしたか?

永:オープニングを最初に観た時は泣きそうになりました。

久:とにかく「感動」の一言でしたね。あとエンディングは歌に合わせてキャラクターが踊るのが可愛くて楽しかったです。ただ、学校があったので毎週続けて観るのは難しかったんですよ。学校から帰ると終わっている時間帯だったので。

永:番組を観るのは飛ばし飛ばしになってましたね。

中略

 

――ところで「Step」の歌詞の「プロローグ」が、TVでは「ドリームハンター」に変わったのは何故でしょう?

金子:映像スタッフからの希望で、作品寄りにしたいというお話だったと思います。立花さんの希望としては歌詞を変えたくなかったので、レコードはオリジナルの歌詞で収録しました。

 

――オンエア後の反響はいかがでしたか?

金子:『ワタル』はスロースターターで視聴率も最初は低かったんです。ただメインスポンサーがタカラさんなので、おもちゃが売れれば番組として成立するんですよ。実際1988年度の玩具業界の3大商品のひとつになったので、かなり売れたのだと思います。

中略

 

――ところでおふたりのお好きな歌手はどなたでしょう?

永:私はドリカムです。

久:私はどちらかと言うと洋楽で、アース・ウインド&ファイアーが好きです。双子でも好みは違うんですね。

 

――おふたりがイベントに出るようになったのは『ワタル2』からですよね?

久: そのへんも色々ありまして……(笑)。

永:実はイベントが苦手だったんです(笑)。

中略

 

――当時のイベントではどのようなトークを?

久:聞かれたことに答えるくらいですね。

「永です」「久です」「a・chi-a・chiです」がキャッチフレーズになってて、よく田中(真弓)さんに真似されていました(笑)。

金子:「好きなものは牛乳です」が掴みのパターンだったよね。

一同:(笑) 

中略

 

――金子さんのイベントでの思い出は?

金子:出演されている声優さんが芝居好きな方ばかりで、次第に大がかりなコントを始めるようになったんです。なので最初は無料御招待でやってましたが、クオリティが上がって製作費用がかかるようになってしまい、最終的に利益を出さない程度の値段で入場料をいただくようにしました。声優さん達も今や第一線で活躍する錚々たるメンバーでしたね。

永:山寺(宏一)さんも今はテレビでよくお見かけしますよね。

金子:私が「芝オケ」って名付けた芝居のカラオケも面白かったです。あと今でも思い出深いのが川口リリアのイベント。井内監督とふたりでファンの女の子達に囲まれてサインを求められたんですよ。でも私はサインなんか書いたことなかったので、名前の横に「いつも心に太陽を」って添えたんです。そしたらひとりの女の子から「私、太陽を二つ持っています。陽子って名前なんですよ」とニコッて笑い、その笑顔がa・chi-a・chiの歌と一瞬ダブったんですよ。「『ワタル』ファンは良い子ばかりだなあ」って思いました。

 

――おふたりはその後もシリーズの挿入歌などを歌われていますが、一番印象的な曲はありますか?

久:「Step」と「a・chi-a・chiアドベンチャー」はもちろんですが、やっぱり小さい頃からザ・ピーナッツの「恋のバカンス」を歌っていたので、ラジメーションの主題歌として歌えたのが一番印象に残っていますね。

中略

 

――そして『ワタル』はBGMの評価も高かった作品でしたね。

金子:音響監督の藤野(貞義)さんから「メカのテーマはホーンでやりたい」と依頼があったので、スペクトラムでトランペットを担当した兼崎順一さんに作曲・編曲をお願いしました。実はBGM録音にはスペクトラムでトロンボーンをやっていた吉田(俊之)君がエンジニアで関わってます。彼はスペクトラム解散後にエンジニアとしてビクターに入社していて、芸大出身でホーン・スペクトラムとして演奏もできる貴重な人材でしたね。兼崎さんがアニメ音楽を手がけたのはおそらく『ワタル』が最初で、私達が狙った通りの音楽を作ってくださいました。同じメンバーだった吉田君が録った事も影響があったと思います。

中略

 

――曲のオーダーはどのような段取りで行なわれるのでしょうか

金子:井内監督と藤野さんで相談をし、必要な音楽のメニューを起こします。それに基づいて曲をオーダーするんですが、どの音響監督もその段階ではメニューの数が多すぎるんですよ。うっかりすると100~200曲くらいのオーダーが出て、そのまま作曲家に渡すとどうしてもノルマで作るようになってしまうんです。だから私は複数の曲をまとめる調整をしました。「これとこれ、そしてこれをまとめて1曲にする」という感じですね。

中略

 

――アルバムの選曲基準はどのように行なわれたのでしょうか?

金子:映像中での使用頻度を基準にしつつ、アルバムとしてのクオリティの高さを意識して選曲しました。ただ『ワタル』の人気に火がついたのが遅かったんですよ。その時はサントラの2枚目は出せるかどうか分からない状況だったので、1枚目に入れたい曲を可能な限り入れました。それでも多くの曲が入り切らなかったんです。ファンの方からは「ワタルの音楽篇2は出ないのですか? もっと曲があるのにもったいないです」というハガキを多くいただきました。

中略

 

――皆さんにとって『ワタル』とはどんな作品だったのでしょうか? そしてファンの皆さんにメッセージをお願いします。

永:『ワタル』のおかげでa・chi-a・chiが誕生し、私達も『ワタル』と共に歩んできました。大勢のファンに恵まれて本当に感謝しています。

久:当時のファンの方々が今ではお父さんやお母さんになり、そのお子さん達も私達の歌を聴いてくださってるそうです。嬉しいですね。金子さんに逢えなければ今の私達はいないので、金子さんやスタッフの皆様には本当に感謝しています。ありがとうございました。

金子:『ワタル』という作品は、私が関わった作品の中で最も遊べる作品でした。イベントなどの遊び場を提供することが出来ましたし、私自身も随分と遊ばせてもらいました(笑)。もちろん不安もありましたが、仕事をしていてこんなに楽しい仕事はそうそうなかったです。もう四半世紀が経って、あの頃の子供達はもう30代くらいになってて、みんな社会に出て色々と大変な思いをしているでしょう。だからこそあの時と同じ「いつも心に太陽を」のメッセージを送りたいです。皆、めげないでがんばってねと。

(2012年1月 牧水苑にて収録)

音響の章 スペシャル座談会 in 牧水苑

金子秀昭(音楽プロデューサー)

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a・chi-a・chi 今井永&今井久(主題歌・副主題歌)